
建築物
奥殿本殿
春日造り。宝永七年(1710)松平氏の造営。御神座は奥殿にあり奥殿の前方は本殿に接続し、床下に深淵があるのは洵に社殿構設上の異例である。
幣殿拝殿
入母屋造り。明治十年再建
宇都伎社
本殿 春日造り。
幣殿拝殿 入母屋造り。 昭和六十二年再建
素婆倶羅社
本殿 春日造り。
幣殿拝殿 入母屋造り。平成十四年再建
天満宮
幣殿拝殿 入母屋造り。平成十七年再建
田村神社の出水
讃岐平野のほぼ中央に位置し、東には香東川が流れ地下にはその伏流水が流れており、地域の人々は井堰や出水を作り、生活用水や田畑の灌漑用水として利用するなどその恩恵を受けてきた。当神社にもそこからの湧き水が三つあったが現在では御神体である淵と、境内東方にある袂井(たもとい)の二つのみである。西方にある花泉(はなのい)は涸れ井となっている。御神体の淵は社殿内にあり当然見ることは出来ない。
社伝によると御神体の淵には龍が住むという龍神伝説がある。
袂井は百襲姫命がこの地に御来臨した時、里人の奉る鳥芋(ごや)を食べてにわかに熱病に罹り、渇きをうったえられた時に侍女が袂を浸して水を奉った井といい、今日もなお、稲田灌漑の水源地であることから「田本井」(たもとい)ともいう。
花泉は百襲姫命が御手を洗われた所という。
史跡
花泉(はなのい)
境内の西端にある
袂井(たもとい)
境内の東方にある
休石(やすみいし)
神社の東方百メートルのところにあり、百襲姫命がかつて憩われた石と伝えられる
天降(あまくだり)
現今香川町大野に属し神社より南約二キロメートルのところにある御旅所の跡であり田村大神が示顕されたという深い由緒のある地である
市場
古い昔市立てを行った地で神社の西方にあり今日の地名に上市場、下市場、横内として残っている
一宮城
もと大宮司の住居していた所で神社の西北にあり今は僅かに旧跡を残す
田村神社大楠
本殿の向背部左側にあり、樹齢は七百年といわれ、市の名木に指定されている
社記の一節珍事録
(高松藩寛永十九年より享保十七年に至る記録による)
明暦元年(1655)神社より社殿の改築工事の申請を受けた普請奉行竹村斉庵(たけむらさいあん)は神官へ社の下の淵を見たいと言い出した。困った神官はどんな祟りがあるか分からないと断ったが、それでも是非見たいと言うので神官はそれではと淵を見せた所しばらくして水が逆巻き上り、其の中から龍が紅の舌を巻き三間ほど頭を出して斉庵をにらんだ。斉庵は心地悪くなり、駕籠で家に帰り、家内へその仔細をいいつつ死んでしまった。
その後工事も半ばになった時、淵の蓋の真中に二尺ほどの穴が明いていて、その穴へ鑿(のみ)を落とし込んでしまった。するとしばらくして竜が現れその鑿を角に掛けて差出した。大工は恐れて足で鑿を挟み上げたところ大工はたちまちに死んでしまった。
誠に生き神の報いであり恐ろしいことである。
|